作曲家 北野 善知

    

<エンジニアとしての肩書きも併せ持つピアニスト北野善知さん>

 「人間VS人間が高度な頭脳を駆使して闘う。皆、そこに魅力を感じているんじゃないでしょうかね?」(ピアニスト・作曲家 北野善知さんの談。以下「  」内は北野さんのコメント)

 

少し間を置き、思慮深い面持ちでこう語るのはピアニスト・作曲家の北野善知(きたのよしとも)さん。

7枚目アルバム「疾風怒濤」8枚目アルバム「心眼抄」の発売記念として、今年(2024年)の131日すみだトリフォニーホールでソロピアノコンサートを開催しました。



                       アルバム「心眼抄」ビジュアル1


音楽家でありながらシステムエンジニアとしての肩書きを持つ北野さんに、昨今目まぐるしいスピードで発展するAIについての見解を求めたところ将棋を例に解説してくれました。

 

「コンピュータVS人間の構図にしてしまうと、何億通りものパターンを瞬時に計算出来るコンピュータに対し、記憶力に限界のある人間が挑むのはどうしても分が悪いです。コンピュータが有力な棋士を打ち負かし始めた初期の頃、人々はコンピュータがどこまで強くなるのか?どこまで進化するのか?に興味を持っていましたが、(少なくとも将棋において)もはやそういったフェーズは過去のものになりつつあります」

 

アメリカのOpenAI社が開発したChatGPT話題になり始めたのは2023年の秋頃から。間もなく1年が経つか経たないかのうちに対話型AIが一般的なビジネスシーンやアカデミックの世界に浸透している現実を見ると、テクノロジーの進化がかつてよりも倍速で進んでいることを実感させます。

 

「単なる強さだけに着目してしまうとコンピュータに軍配が上がりますが、人間同士が今まで培ってきた経験に基づいて指手を変化させたり微妙な駆け引きがあったり、そこに将棋本来の面白さがあるんじゃないですかね?」

 

何が面白いか?何に注目するか?は人間たちが決めることなので、この先AIやテクノロジーの発展が進んだとしても主語になり得るのは結局人間たちであり続けるのでは?と北野さんはエンジニアとしての目線も交えながら持論を展開します。

 

<技術革新における音楽の変遷>

 

——技術の発展と音楽の変化について、北野さんご自身が音楽家として思うところがあればおしえてください。

 

「世界中の人から今も愛され続けるベートーベンの音楽。彼はまさに技術の進化に敏感な音楽家だったと思います。バッハの時代、木で作られたチェンバロという楽器は爪のような部材で弦を引っ掻いて音を出す手法だったのが、後にピアノが出現します。ピアノは鋼鉄のフレームの中で引っ張られた弦をハンマーで叩いて音を鳴らします。楽器に鉄が用いられるのは産業革命との関連性があると思いますし、そういう新しい技術、最新の楽器で拡張された音の表現を余すところなく自身の楽曲に盛り込んだのがベートーベンだったと思っています」

 

「もう一つ、ロマン派の後期にウィーンで活躍したマーラーが残した交響曲第8番。千人の交響曲と称されるこの曲は、大編成のオーケストラと独唱、合唱を合わせて文字通り1,000人規模で演奏される壮大な楽曲です。ワーグナーやマーラーは音量や音圧などボリュームの大きな曲を書きたくてこういったアプローチに至ったのだと思いますが、これが後に1,000人から10,000人に増えることはありませんでした。諸説ありますが大きな視点で見ると、アンプやスピーカーが出現したことにも起因すると思います。言わばこのテクノロジーの進化によって音楽のボリューム調整が可能になったからではないでしょうか?」

 

確かにバッハやベートーベンの時代、音楽には再現性がなく常にライブで音を聴く以外に音楽を愉しむ手段はありませんでした。今では当たり前のようにレストランや公共の場でスピーカーから音楽が流れてきますが、その昔、優雅なディナーのBGMを務めるのは生身の音楽家で、それを考えれば現代の我々がオンデマンドで音楽を愉しめるようになったのはテクノロジーの進歩に他なりません。



                 <一人何役もこなす北野さん>

 

——アルバム制作はどのようなプロセスで行っているのでしょうか?

 

「私のアルバムは全てソロピアノですので、生のピアノの音しか使っていないのですが、実際のアルバムの制作作業においてはコンピュータに頼るところは大きいですね。レコーディングや編集作業でDAWDigital Audio Workstationという音楽制作のソフトウェア)をメインで使うことが多いです。録音の過程ではホールで生ピアノを弾き、その音を6本のマイクで拾っています。一発録りでいい音が残せれば御の字ですが、現実はそうはいかず後からコンピュータで切り貼りを施して一つのピースに仕上げていきます」

 

——アルバムのアートワークもご自身で作っていると聞きました。

 

「まず最初は手で画用紙に絵を描いてデジタル化したものをPhotoshopで編集し、その作業を繰り返して仕上げていきます。美術は素人ですが、自分の作曲した音楽にアルバムデザインのイメージが近づいていくよう心がけています。だけで伝え切れるかな?という不安もどこかにあって。それだけに人任せではなく、コンピュータの力も借りながら自らの手を動かして作り上げていきます」



                          アルバム「心眼抄」ビジュアル2


北野さんは3人兄弟(妹2人)の長男です。

兄という立場から自然と自立心が芽生えたといいます。

 

「放っておかれたということではないのですが、両親は妹2人にかかりきりでいつの間にか自分のことは自分でやらなきゃという気持ちになっていたのでしょうね。そんな風にして子供の頃、音符を書いて遊んでいたのが後に作曲への興味に繋がっていったのだと思います」

 

<音楽家北野善知が辿ってきた道のり>

 

——高校時代にはピアノだけではなくオーボエも吹いていたようですね。

 

「県立千葉北高校在学時は吹奏楽部に入部しました。オーボエの遠くで鳴っているような時にノスタルジーを感じさせる響きにとても惹かれました。高校で吹奏楽部へ入る前にオーケストラでオーボエの音を聴いて何となく気に入っていたんです。割と最近、コロナ禍で自宅時間が増えた時に中古のオーボエを買ってまた吹き始めました。基本的にピアノで作曲をしますが、あらためてオーボエを吹くようになり、音楽的な幅が広がりました」

 

——北野さんの音楽的なキャリアを紐解くとハンガリーへの留学というご経歴があります。ハンガリーを留学先に選んだ理由やそこにまつわるエピソードなどをおしえてください。

 

「千葉北高校を卒業後、四年制大学の経済学部を卒業し就職しました。システム会社に入社して3年経ちハンガリーへ旅行する機会に恵まれました。ちょうどその頃、従兄弟がODA(政府開発援助)でハンガリーに派遣され、バラトン湖(中央ヨーロッパ最大の湖)の水質汚染を改善する任務に当たっていたんです。従兄弟を頼って約一週間のハンガリー旅行。そこでの出会いが大きなきっかけになりました」

 

ハンガリー滞在中に北野さんが出会ったのは、Ratko Agnesさんというピアノの先生でした。Ratko Agnes先生はピアニストでもありながら古楽器であるチェンバロにも精通した方で、たまたま彼女のレッスンを受けることが叶い、ここで本格的にピアノの勉強をしたいと思いを掻き立てられました。

 

「その後一旦帰国してから再びハンガリーに渡り、最初の一年はRatko Agnes先生の個人レッスンを受け、その後、国立リスト音楽院へ入学しました。日本で専門的な音楽教育を受けたことがなかったので、遠く東欧での音楽漬け生活はとても新鮮でした。音楽を続けていきたいと思い始めた原点はここにあります」

 

北野さんが帰国後しばらくして、2003年以降にRatko Agnes先生は国立リスト音楽院で教鞭を執ることになります。

そしてリスト。ピアニストと言えばショパンかリスト、同時代に生まれた彼らはお互いにライバルであったことは有名です。

北野さんの通った国立リスト音楽院のモチーフとなっているフランツ・リストは、ロマン派を代表する超絶技巧のピアニストです。ただ、北野さんにとってリストはピアニストとして憧れの存在でありつつ、自身が目指す音楽スタイルはやや別のところにありました。

 

「バッハはいつまでも興味深い作曲家ですね。バッハの特徴としてポリフォニーを用いた音の捉え方や規則性がありつつ計算された中にも自由で闊達な部分が存在していて、解析するたびその凄さに圧倒されます。まさに音楽の父と称されるに相応しい存在です」

 

<自然の中に身を置くことで得られる刺激とは>

 

——音楽家とシステムエンジニアを両立させている北野さんがもう一つ真剣に取り組んでおられるトレイルランについてお伺いしても宜しいですか?

 

「トレイルランニングを始めたのは割と最近なんです。エンジニアと音楽家ってどうしても運動不足になりがちで・・・。40代に入って身体が重いな、と感じることがありまして。元々自然の中に身を置くのは好きだったんですが、ある時ただ車で田舎へ行って山の中に入り、渓流を見て帰ってくるだけのようなパターンに疑問を抱くようになりました。せっかく山の中に入るんなら存分に山中を駆け巡ってヘトヘトになって帰ってくればいいんじゃないか?と思うようになり、何というか自分の中で『見つけた!!』という感触を得ました」

 

社会人になると大抵の人は意識的に身体を動かさないと運動不足に陥ります。40代になって身体を鍛えたくなった北野さんの気持ちは分かるような気がします。

 

「特にアスリート的に追い込むという所にはあまり力点を置いてなくて、最低限、一人で責任を持って山の中から戻って来られることが一番大事です。ですから体調不良やちょっとした怪我でもこれ以上はマズいな、と感じたら早めに撤退する勇気も必要なんですよね。救助される羽目になって周囲に迷惑かけたくないですから。日常的に都市部で生活していると舗装された道路を交通ルールを守って歩いていれば、ある程度危なげなく過ごすことが出来ますが、山中など自然の中にいるとそうはいきません。未舗装の道はデコボコしていたり、枯葉で隠れた窪みに気づかないこともあります。ただ漫然とランニングしているだけではなく、どこにどういう角度で足を置くか、とか単に歩みを進めるだけでも結構頭を働かせるんです。そうやって脳に刺激を与えながら肉体を駆使して完走を目指すというのがまたいいものです」

 

——よく創作の過程で降りてくるという表現を聞きますが、北野さんはトレイルラン中に新しい音楽が浮かんできたりすることはあるのでしょうか?

 

「いや・・・残念ながらそれは殆どないです()。ごく稀に朝起きた瞬間にメロディが浮かんだりということはありますが、あくまでレアケースです。大抵はピアノに向かって即興的に旋律を繰り返している時などにいい音の組み合わせが浮かんできたり、という感じですね。降りてくれば結構なことなんですけど、僕の場合は音楽的な状態に自分をセットした時の方が創作に繋がりやすい傾向にあります。降りてくるというよりは汲み上げるに近いかもしれません。常に手を動かしながら、どちらかと言えばコツコツと地味な作業なのかもしれませんね。スープを長時間グツグツ煮込んで素材の旨味を引き出していくような」


<今後の活動予定と未来への展望>

 

——今後の活動予定や将来的な展望についておしえてください。

 

「直近では、10月に京都のギャラリーで音楽イベントをやります。メインは絵画の展示で、それぞれの絵のイメージに僕が音を付けるという言わば盛り上げ役を担います。どういうアウトプットになるのかまだ明らかになっていないところもありつつ、プロジェクトのメンバーの中にはハンガリー人のアーティストもいて、画家さんたちとの共同作業になるのはとても興味深くワクワクしています。それから中長期的には、北野善知のソロプロジェクトとして創作活動を続けていきますが、ピアノに限定せずDAWを駆使して音楽的な幅を拡げた作品を発表していきたいですね」

 

北野さんの最新作『心眼抄』に収められている全10曲の曲名には、末尾にアルファベット2文字が添えられてます。

 

1曲目の『心眼抄-YR』のYR揺らぎなんですが、あえてこの点に関する説明は省いてます。聴いてくださる方々の想像力やイメージに委ねようかな、と」

                  

                          アルバム「心眼抄」ビジュアル3


有史以前から様々な工夫や改良をかさね、自らの生活を豊かにしてきた人類の持つ特性に興味があるという北野さん。音楽家としてのみならずエンジニアの観点からも、今後世界中の人々がテクノロジーを駆使してどういう営みを築いていくのか見届けていきたいといいます。

 

「抽象的な表現になりますが、音楽家としては、次の世代、またその次の世代を予見させるような何かを創作し続けていけたらいいですね。そのためにやることは日々手を動かしながら自然とも対話し、自分自身の感性を追求していくことだと思います。もし仮に余命半年と宣告されるようなことがあれば、残りの時間は全て音楽に費やしたい。そんな気持ちがあります」

 

音楽家 北野善知。


彼の生み出すピアノの音色はどこか遠くで鳴っていて、まるで山の向こうから風が運んでくるかのような想像を掻き立てられます。

その時、筆者の耳の奥では、巨匠エンニオ・モリコーネの『Gabriels Oboe(ガブリエルのオーボエ)』が鳴り響いていました。

 

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---インタビュアー,ライティング,雄市----


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