日本画家 丹羽 優太

  丹羽 優太氏(2021年、京都光明院にて)



目に飛び込んできた画像は襖いっぱいに描かれた、何か黒いもの、良く見ると大鯰である、図体に似合わない丸い小さな目は臆病さをもちあわせている様

それをシンボルとした表現は口伝えでも昔からあり地震が来ると「鯰が暴れた」と、言われていた、ひとたび暴れれば甚大な被害をもたらす生き物として、民間伝承として絵にも描かれてきた事もある。

                     < 光明院の襖絵の部分 >

大津絵といわれる、時に瓦版のように配られた、古くから民間で目にされていた絵の形式がある。そこには、災害の様子はもとより鯰(地震、災害)を懲らしめる神や封じ石、また、それによって恩恵を受けるもの、恩恵を受けたものを妬む亡者など、半ば可笑しく、半ば恐ろしげな演出で、ひょうげたタッチで描かれる事もある、地震の正体が曖昧だった当時、流行った絵のスタイルだ。

そこに注目した作家が丹羽優太氏だ、京都の光明院での初個展からグループユニットによる東京ミッドタウンアワードでのグランプリ受賞、画学生時代より数々の受賞歴を辿り、活動の幅が広がっている。ファッションを代表する街中で、久しぶりに、その作品を目にするのは2024年、春だった。




靴のブランドとのコラボレーションでの展示では、昔からの知恵のように常に存在するものを日常の延長として受け取り、鯰というモチーフを織り込んでいる。

それは人の知恵でもあり、昔から受け継がれてきた概念。

2021年、光明院での初個展でのインタビューで印象に残った丹羽氏の言葉がある。

「災害の予兆という鯰は、崇高な概念の中や民間の信仰などに共通している点であり、身分など貴賤を問わないで共通する概念です、それが正体が分からない、蒙昧である、いかに人々にとって曖昧な存在であるかという点です。」

鯰が象徴する、得体の知れなさ、それは人と人の間に取ってもおなじこと。

立場によっては神と崇め、時によってたかって貶めるような曖昧な存在、そんな得体の知れないところは人の中にもある。

「そんなことならあっちにもこっちにも皆、鯰にしてしまえと。」

街中でマスク着用でない人を見受けられないくらいコロナが蔓延しだした頃、徐々に美術館や大型の施設では展示が発表され出し、東京ミッドタウンアワードでの受賞者の作品が同建物内で披露された。

丹羽優太氏がユニットを組んだインスタレーション作品「鯰公園」には、ヒゲ相撲をする鯰達が描かれ、なるほど、あっちもこっちも鯰だらけの姿が見受けられた。


光明院での表現から、次の鯰として取り上げた題材は世相を反映しながらもどこか、ユーモラスだ。

Something black 

は、やがて

Transformable black 

へ。

黒いもの(鯰や山椒魚)は、やがてコロナが蔓延する世を映し出し、鯰も虎、狼とのキメラへ変化する。

人々に降りかかった出来事を描くため、描きにくい題材だと思う、そこに表現の妙味がある。

丹羽氏は、2021年の初個展の時に、映画のセットや特撮が好きだと話していた、襖絵に描かれた災害の絵は、どちらかと言うと実際の被害にあった光景ではなく、ジオラマの模型などをヒントにしていたと話している、描かれた光景は再現というよりイメージから由来したものだ。

災害というものは、実際、当事者にとっては触れ難い程、忘れ去りたい事柄である、辛く重い大きな災害、ただ、それは過去の事だけに留まらない故に、これからを生きる人達と我々の為の表現が必要なのでは無いだろうか。

島国に住む誰もが感じる不安を反映しながら、それを教訓とし、備え、抵抗し、時には利用するしたたかさは本来、人が持っている力だ。

表現の中に置いて、時には笑いに変えつつも乗り越えて行こうとする人々の知恵を伝える一手段として練られた構図は、街中で見られた靴のブランドとのコラボレーションの中でも黒いなにかとして投げかけるような強さを放ってる

丹羽氏の描く鯰の変化して行く先は、丸みを帯びたユーモラスなフォルムの中に、どこか恐ろしげでありながら、災害を示唆する存在として行くのか、また曖昧さを象徴するものとして、鯰やその他の生き物が存在し、これからも形を変え「なにか黒いもの」として人とともに描かれるのだろう。今後のご活躍がとても楽しみである。


     インタビュアー、ライティング:ブログ「翼語り」

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