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作曲家 北野 善知

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     <エンジニアとしての肩書きも併せ持つピアニスト北野善知さん>   「人間 VS 人間が高度な頭脳を駆使して闘う。皆、そこに魅力を感じているんじゃないでしょうかね?」 (ピアニスト・作曲家   北野善知さんの談。以下「  」内は北野さんのコメント)   少し間を置き、思慮深い面持ちでこう語るのはピアニスト・作曲家の北野善知(きたのよしとも)さん。 7 枚目アルバム 「疾風怒濤」 と 8 枚目アルバム 「心眼抄」 の発売記念として、今年( 2024 年)の 1 月 31 日すみだトリフォニーホールでソロピアノコンサートを開催しました。                         アルバム「心眼抄」ビジュアル1 音楽家でありながらシステムエンジニアとしての肩書きを持つ北野さんに、昨今目まぐるしいスピードで発展する AI についての見解を求めたところ将棋を例に解説してくれました。   「コンピュータ VS 人間の構図にしてしまうと、何億通りものパターンを瞬時に計算出来るコンピュータに対し、記憶力に限界のある人間が挑むのはどうしても分が悪いです。コンピュータが有力な棋士を打ち負かし始めた初期の頃、人々はコンピュータがどこまで強くなるのか?どこまで進化するのか?に興味を持っていましたが、(少なくとも将棋において)もはやそういったフェーズは過去のものになりつつあります」   アメリカの OpenAI 社が開発した ChatGPT が 話題になり 始めたのは 2023 年の秋頃から。間もなく 1 年が経つか経たないかのうちに対話型 AI が一般的なビジネスシーンやアカデミックの世界に浸透している現実を見ると、テクノロジーの進化がかつてよりも倍速で進んでいることを実感させます。   「単なる ” 強さ ” だけに着目してしまうとコンピュータに軍配が上がりますが、人間同士が今まで培ってきた経験に基づいて指手を変化させたり微妙な駆け引きがあったり、そこに将棋本来の面白さがあるんじゃないですかね?」   何が面白いか?何に注目するか?は人間たちが決めることなので...

日本画家 丹羽 優太

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    丹羽 優太氏( 2021年、京都光明院にて) 目に飛び込んできた画像は襖いっぱいに描かれた、 何か黒いもの、良く見ると大鯰である、図体に似合わない丸い小さな目は臆病さをもちあわせている様 それをシンボルとした表現は口伝えでも昔からあり地震が来ると「鯰が暴れた」と、言われていた、ひとたび暴れれば甚大な被害をもたらす生き物として、民間伝承として絵にも描かれてきた事もある。                       <  光明院の襖絵の部分  > 大津絵といわれる、時に瓦版のように配られた、古くから民間で目にされていた絵の形式がある。 そこには、災害の様子はもとより鯰(地震、災害)を懲らしめる神や封じ石、また、それによって恩恵を受けるもの、恩恵を受けたものを妬む亡者など、半ば可笑しく、半ば恐ろしげな演出で、ひょうげたタッチで描かれる事もある、地震の正体が曖昧だった当時、流行った絵のスタイルだ。 そこに注目した作家が丹羽優太氏だ、京都の光明院での初個展からグループユニットによる東京ミッドタウンアワードでのグランプリ受賞、画学生時代より数々の受賞歴を辿り、活動の幅が広がっている。ファッションを代表する街中で、久しぶりに、その作品を目にするのは2024年、春だった。 靴のブランドとのコラボレーションでの展示では、昔からの知恵のように常に存在するものを日常の延長として受け取 り、鯰というモチーフを織り込んでいる。 それは人の知恵でもあり、昔から受け継がれてきた概念。 2021年、光明院での初個展でのインタビューで印象に残った丹羽氏の言葉がある。 「災害の予兆という鯰は、 崇高な概念の中や民間の信仰などに共通している点であり、 身分など貴賤を問わないで共通する概念です、それが正体が分からない、蒙昧である、いかに人々にとって曖昧な存在であるかという点です。」 鯰が象徴する、得体の知れなさ、 それは人と人の間に取ってもおなじこと。 立場によっては神と崇め、 時によってたかって貶めるような曖昧な存在、 そんな得体の知れないところは人の中にもある。 「そんなことならあっちにもこっちにも皆、鯰にしてしまえと。」 街中でマスク...